【ブログ】「話せるようになる」ための500の方法
【連載:場面緘黙と不登校】第7回 対応方法の基本③場面緘黙と不登校では、「ゴール」の考え方が異なる
今回は対応方法の基本となる「何を目指すのか」について解説していきます。
「場面緘黙」と「不登校」の両方の状態になっている子への対応を考えるとすれば、当然それぞれについてのゴールが必要になります。
ここで大事なのは、場面緘黙と不登校では、「ゴール」の考え方が異なるということです。
場面緘黙の症状に関しては「話せるようになること」という分かりやすいゴールがありますが、不登校の方はそんなに簡単ではありません。
「学校に行けるようになること」だけがゴールではないからです。
これは、ふだんあまり意識されることはないかもしれないですが、非常に重要な問題です。今回はこれについて考えてみましょう。
本当に場面緘黙改善のゴールは「話せるようになること」だけなのか?
改めて確認しておきましょう。
場面緘黙改善のゴールは「話せるようになること(緘黙症状の改善)」です。
もちろん「話せるようになる」にも色々な状態がありますが、大きな方向性としては同じです。
(緘黙症状の改善について知りたい方はこちらの記事をご覧下さい)
「筆談などの代替手段でコミュニケーションができればいいのでは」という考え方も確かにあります。
もし本人が「筆談ができるから、これ以上は緘黙症状が改善しなくてもいい(話せないままでいい)」と考えているのであれば、それは解決だと言えるでしょう。
ですが、「話せないままでいい」と考える人はそんなにいるでしょうか。
私はこれまで何百人もの場面緘黙の症状のある人と関わってきましたが、はっきりと「話せるようにならないこと」を希望した方は一人もいませんでした。
(「話せるようになりたい」という意思が確認できないケースはよくありますが)
ですので私は、場面緘黙の症状のある人の多くは「話せるようになりたい」と思っていると考えています。
他でも書いていますが、緘黙症状は改善させることができるものです。
反対に、放っておけばいつまでも緘黙症状が続くケースもあります。
積極的な治療的介入によって、なるべく早く症状を改善させるべき、というのが私の基本的な考え方です。
なぜ不登校の解決のゴールは多様なのか
一方で、不登校の解決のゴールは多様です。
「学校に行けるようになること」だけではなく、「学校に行かないことにすること」「学校以外の学び方や生活の仕方をすること」なども考えることができます。
なぜ不登校の解決のゴールは多様なのでしょうか。
それは、問題の本質が「学校に通えるかどうか」ではないからです。
「学校に通う」というのは、その人が成長・発達していくための「1つの手段」に過ぎません。
大事なのは学校に通えるかどうかではなく、人としてよりよく育っていくことです。
「学校に通う」のは人生の中のほんの一時です。
学齢期の終わりがくれば、不登校は自然と消滅します。
最後まで不登校の状態で過ごしても、そこから先で豊かな社会生活を送ることができればそれでよいのです。
ですが場面緘黙は、学齢期の終わりがきても勝手に消滅しません。
高校や大学を卒業するまで場面緘黙の状態で過ごしたら、そこから先の社会でも緘黙状態が続く可能性の方が高いでしょう。
ということで今回の内容のまとめ。
場面緘黙改善のゴールは「話せるようになること」だが、不登校の解決は多様である。
ぜひ覚えておいてください。
ところで、不登校の解決が多様であり学校は1つの手段に過ぎないとしたら、でははじめから「学校には行かない」と決めてしまうのでもよいのでしょうか。
私はそうは考えていません。
「学校は、行ければ行った方がいい」というのが私の基本的な立場です。
その理由は「効率がいいから」。
次回の記事でこの点について考えてみましょう。