【ブログ】「話せるようになる」ための500の方法
【連載:場面緘黙と不登校】第12回 「いい休み方」について④どうすれば「いい休み方」になるか
今回はいよいよ、どうすれば「いい休み方」になるかについて考えていきます。
と言っても、「これこそがいい休み方だ」というものがある訳ではありません。
緘黙症状改善の方法が人それぞれなのと同じように、学校に行きづらい子にとっての「いい休み方」も人それぞれです。
そこで、「いい休み方」にするための基本的な考え方について、いくつかの場合に分けて考えていきましょう。
好きなことをする場合
私は、学校を休んでいる子の過ごし方としてまずは「好きなことをする」のが最もよいと考えています。
もちろん加減というものがありますので、朝からずっとゲームばかりしているのはお勧めできませんが、それでも考え方によっては「いい休み方」にすることはできます。
まず、どうせやるなら「ちゃんとやる」ことです。
休むために、息抜きをしたり、ダラダラやるのも全然ダメではないです。
でもどんなことでも、ちゃんとやれば成長につながります。
ちゃんとやるためには、行き当たりばったりや自己流ではなく、基礎基本からしっかり学ぶことが大切。
そして継続すること。
これができればよい学びになります。
そして、「いい休み方」になるかどうかは「目標」や「目的」があるかが重要です。
「目標」と「目的」はよく似たことばですが、次のような違いがあります。
・「目標」:実現したい1つ1つの具体的なステップ
・「目的」:最終的に目指したいこと
「目標」の方がより具体的で、達成しやすいものになります。
例えば「イラストを投稿していいねを100もらう」なら目標、「絵が上手に描けるようになること」なら目的です。
そして、目的達成を目指すには、基礎基本からしっかり学ぶことが近道になることが多いですね。
目標や目的が明確なら、オンラインゲームだって「いい休み方」になるかもしれません。
「目標は何?」「今シーズン中にマスターランクまで行くこと」
「ふーん。じゃぁその目的は何?」「ええっと・・・試合の展開を読んで、味方と連携して、チームに貢献できるプレイができるようになること・・・?」
例えばそういう目的なら、オンラインゲームだって悪くないかもしれませんね。
チームでのゲームで強くなるには仲間とのコミュニケーションが必須ですから、ボイスチャットだってしないといけませんし。
ゲームで緘黙症状が改善する人もいます。
家で勉強をする場合
家で勉強をするのは、本人にその気があればとてもお勧めの過ごし方です。
でも子どもに「勉強でもしたら?」と言っても「やだ」と言われて終わってしまいます。
「学校を休むなら、せめて勉強だけでも」という考え方ではあまり上手くいきません。
その理由は「目的が曖昧だから」です。
子どもに「何のために勉強するのか分からない」と言われることがありますね。
「何のために勉強するのか」はとても答えるのが難しい問題です(またそのうち別の記事で書きましょう)。
大人でも答えるのが難しいというのが、「目的」が曖昧な証拠です。
目的の分からないことは、誰だってやりたくありません。
「勉強でもしたら?」はまさにその典型です。
ここでもお勧めなのは、「目標」や「目的」を考えることです。
そこで、「目標」や「目的」を明確に設定してみましょう。
・目標を明確にする:英検や漢検合格、カラーコーディネーターの資格をとる、○年生の漢字を全部覚える、など
・目的を明確にする:高校受験のため、海外留学のため、将来の夢を達成するため、など
「何となく」学校の勉強をするのではなく、目標や目的をもって勉強するのが有効です。
目標や目的が明確になれば、何の勉強をどのようにしたらよいかも自然と導き出されます。
そのようにして考えた勉強は、「1日1ページドリルをする」みたいな方法とは異なるものになるでしょう。
外出する場合
外出もいいですね。
学校に行けなくても、どんどん外出してほしいと思います。
外出の場合、まずは「外に出るだけでも素晴らしいこと」だと考えましょう。
前回も言及しましたが、場面緘黙と不登校が同時に生じている場合、ほとんどのケースで強い不安症状や対人恐怖が背景にあります。
ですので、外に出るだけでも怖かったり、不安だったりすると思います。
そういう状況で外に出るわけですから、「外に出るだけでも素晴らしいこと」なのです。
外出するには、「目的」が必要です(目的のない外出というのはちょっと怖いですね)。
もちろん、目的は「ただの散歩」でも構いません。それだって立派な目的です。
ただもっといい目的があれば、外出はよりよいものになるでしょう。
買い物でも、趣味でも、イベントへの参加でも構いません。
「好きなアーティストのライブを聴きに東京まで行く」みたいな目的があったら、すごくいいじゃないですか。
そういうことが、緘黙症状や不登校を改善させる原動力になるのだと私は考えています。
ところが実際は、この「外出」をさせるというのが、家族からすると心理的なハードルが高かったりします。
「学校を休んでいるのに、なんで外に遊びに行くの?」「休んでいるのに外出していいの?」と思ってしまう訳です。
これが、第9回の記事で説明した「休む」の2つの意味の違いから出てくる問題だと思います。
単に「学校を休んでいる」だけなので、「家で大人しくしていないといけない状態」にある訳ではありません。
学校以外の教育の場(教育支援センターやフリースクールなど)に行く場合
「教育支援センターやフリースクール」と書きましたが、この2つは目的も位置づけも全く異なるものなので、本来は一緒にすべきではないかもしれません。
ただ「いい休み方」という視点から見れば、同じ範疇に入ると考えてよいでしょう。
それはどちらも、「学校を休む代わりに行く、教育の場」だからです。
「教育支援センターも行きたくないけど、学校よりはマシだから行く」という子もいます。
それが「いい休み方」になっているかは、しっかり検討する必要があると思います。
前回の記事で書いたように、プラスとマイナスどちらが大きいかをよく考えてみるとよいでしょう。
もちろん教育支援センターに通うことがプラスになることもあります。
それを左右するのは、やはり「目標」や「目的」です。
なぜ教育支援センターやフリースクールに行くのか。行った先には何があるのか。
学校復帰を目指すのか、学習面のフォローか、日中の居場所か。
「学校に行けない代わりに行く」以外の答えが明確に用意できるように考えてみましょう。
緘黙症状の改善を目指す場合
これは言うまでもなく、しっかりと計画を立てて練習をしていくことが必要です。
他の記事(例えばこちら)でも説明してきたように、学校に行きづらい状態の子でも緘黙症状を改善させることはできます。
そしてこの場合もやはり、「目標」を明確にすることがその第一歩となります。
この記事は「場面緘黙と不登校」というカテゴリーの記事です。
緘黙症状のある子がもし「学校を休む」という決断をしたなら、私はぜひその機会に「緘黙症状の改善」を目指してほしいと思います。
ということで、ここまでどうすれば「いい休み方」になるかについて考えてきました。
どの場合も共通するのは「目標」や「目的」を明確にするということでした。
もちろん休み初めはそんなこと考えず、ゆっくり心と体の元気を蓄えれば大丈夫です。
余裕が出てきたところで、もし学校を休むのが長くなりそうなら、「いい休み方」にするためにも目標や目的を考えてみましょう。
【連載:場面緘黙と不登校】第11回 「いい休み方」について③「いい休み方」の2つの側面
第9回の記事から、「いい休み方」についてお話ししています。
今回は「いい休み方」を分解して、2つの側面から考えていきましょう。
プラスが大きいかマイナスが大きいか
私が学校に行きづらい子への対応でいつも考えているのは、「総合的に考えてプラスが大きい過ごし方」をすることです。
例えば不登校の対応で「夕方学校にプリントをもらいに行く」という対応があります。
これは「いい休み方(過ごし方)」でしょうか?
もちろん正解は「人それぞれ」です。
夕方学校に行って担任の先生と少し会うだけでも「今日は学校に行けた」という達成感になる子もいれば、「夕方学校に行かないといけない」と思うだけで一日中暗い気持ちで過ごす子もいます。
総合的に考えてプラスが大きければやればいいし、マイナスが大きければやらなければいいのだと考えています。
「いい休み方」の2つの側面
プラスとマイナスという視点で考えると、「いい休み方」には2つの側面があることが分かります。
1つ目は「マイナスを減らす」、心と体の元気を蓄える休み方です。
本来の意味での「休む」だと言えるでしょう。
これはとにかく「しっかり休む」ことが大切です。
第9回の記事にも書いたように、「心と体の元気が消耗する休み方」もあります。
「学校を休んでいるのに、心身は休まらない」にならないように気をつけましょう。
2つ目は「プラスを増やす」、より積極的にできることを増やしていく休み方です。
せっかく学校を休んでいる訳ですから、それを活かしてできることを増やしていく過ごし方も考えてみましょう。
これは色々なやり方が考えられるので、詳しくは別の記事で書くことにします。
「できることを増やしていく」には「緘黙症状の改善」も入ります。
学校に行くことよりも緘黙症状の改善を先に目指すケースでは、この対応が特に重要になります。
これら2つの関係は、ドラゴンクエストで言えば、1つ目は「ホイミ(回復呪文)」や「宿屋で休む」、2つ目は「レベル上げ」や「アイテム収集」と言えるでしょう。
しっかり休んで心と体の元気が溜まってきたら、超レアアイテムを探しに出かけましょう。
総合的に見てプラスになるなら、学校を休んでも
「学校を休む」(2つ目の意味)というのは、本来出来ているはずのことができない「マイナス」のことだと一般的には捉えられます。
ですが、しっかり休んで心と体の元気を整えながら、さらに学校ではできないことを積み上げて行くことができれば、「総合的に見るとプラス」にできるかもしれません。
優先順位をよく考え、「無理して学校に行くよりも、休んだ方がプラスが大きかった」と言えるような休み方ができるといいですね。
【連載:場面緘黙と不登校】第10回 「いい休み方」について②「いい休み方」は緘黙症状の改善にも効く
前回の記事では、学校に行きづらい子への対応として、「いい休み方」をすることがとても大切だと指摘しました。
今回は「いい休み方をすることは、緘黙症状の改善にもつながる」ということを説明しましょう。
「場面緘黙+不登校」が難しいのは、社会とのつながりが断たれるから
緘黙症状があって学校に行きづらい状態になっている子への対応が難しいのは、「コミュニケーションの障害」と「関わる場の減少」が同時に起こるからです。
これは「社会とのつながりが断たれる」と捉えることもできるでしょう。
場面緘黙と不登校が同時に生じている場合、ほとんどのケースで強い不安症状や対人恐怖があることが想定されます(これについては第4回の記事で説明しました)。
このため、単に「人前で話せない」「学校に行けない」だけでなく、外出や他の集団への参加などの学校以外の社会とのつながりも作りづらくなってしまうのです。
緘黙症状があって学校に行きづらい状態になっている子への対応の第一歩は、まさに「社会とのつながり」を作り出すことだと言えます。
それが「学校とのつながり」の場合なら登校を増やすことを目指すかもしれませんし、「コミュニケーション」なら緘黙症状の改善を目指すことになるかもしれません。
「社会とのつながり」とは、どんな「社会」のことか
このような状態の子に「社会とのつながり」を作っていくためには、「どんな社会とつながるか」が重要です。
結論を言ってしまえば、上手くいくならどんな社会でも構いません。
もちろん、自治体の教育支援センター(適応指導教室)や親が勧めるフリースクールで上手くいく場合は、それで進めていくのでよいでしょう。
ですがこの記事を見ている方には、それでは上手くいかないケースもあると思います。
その時に大事になってくるのが「本人がやりたいこと」を通じて社会と関わっていくという考え方です。
入り口は何でも構いません。
本人がやりたいことを、まずはじっくりやっていけばよいのです。
どんなことでも、いつかは社会につながっていく
どんなことであっても、それを突き詰めていけば社会とつながっていきます。
例えば、場面緘黙の子で多い「イラストが得意」「イラストが好き」で考えてみましょう。
イラストやマンガは、描き手と作品との間で完結するものではありません。
はじめは「描いたものを人に見せるのは嫌」という子も多いですが、描き続けていれば必ず誰かに見せたくなります。
なぜならイラストやマンガは「人に見られることによって成り立つ」からです。
これは音楽でも小説でもお菓子作りでもそうです。
ではもっと一人の中で完結しそうな趣味はどうでしょう。
読書や動画視聴は一人で行うのが普通で、いくら続けていても人との関わりにはなりにくいかもしれません。
ですが世界を広げる絶好の教材になります。
海外のドラマを観ていれば日本の社会とは違う多くのことに気付くでしょう。
YouTubeだったら全世界に開かれた情報の窓になると思います。
(大事なのは、暇つぶしではなく、そういう見方ができるかどうかです)
どんなことでも一人で突き詰めることはできないので、インターネットで情報を検索したり、道具や材料を買いに行ったり、何らかの社会とのつながりが出てきます。
買いたい物があれば、それは緘黙症状改善のための機会になるでしょう。
気持ちが外側に向かっていくために、「いい休み方」を
私がこれまで多くの緘黙症状のある方と関わってきて、最も難しいと感じるのは「社会とのつながり」を求めていない場合です。
不登校だけなら何とかなりますが、本人が「人と話したくない」「誰とも関わりたくない」と強く考えている場合は、ほとんど何もできなくなってしまいます。
そんな場合でも、どこかに「社会とのつながり」を見出すことができれば、緘黙症状改善のとっかかりになります。
どんなことでもよいので、気持ちが外側に向いて生きたときに、緘黙症状の改善が始まると考えています。
そのためには、まずはしっかり休んで心と体の元気を補充しながら、好きなことを通して社会とつながっていくことが大事なのです。
【連載:場面緘黙と不登校】第9回 「いい休み方」について①「学校を休む」の2つの意味
前回の記事では学校に行けない状態でも緘黙症状が改善してきた中学生の子について紹介しました。
この子の緘黙症状が改善してきた背景の一つとして、「学校に行きづらいはるかさんを暖かく見守りながら、学校以外でできる活動を広げていった」ことがあると説明しました。
またその前の記事では「しっかり休む」ことが大切だということをお話ししました。
私は学校に行きづらい子への対応として、「いい休み方」をすることがとても大切だと考えています。
そこで今回は、「いい休み方」とは何かについて考えていきましょう。
学校を「休む」には2つの意味がある
学校を欠席することを「学校を休む」とも言いますが、よく考えてみるとこれには2つの意味があります。
1つ目は「休養して心身の元気を整えること」。
「病気で休む」など、「休む」というときには一般的にはこのことを意味することが多いでしょう。
土日祝日が「休みの日」なのは、毎日行ったら消耗してしまうからです。
せっかく休むんだったら、しっかり休養して心と体の元気を蓄えたいですね。
もう1つは、「(本来行くべき)学校に行くのを一時的にやめること」。
日本語には、普通ならしていることを「しない」という意味での「休む」ということばがあります。
すごろくでも「1回休み」と言いますし、音符にも「休符」がありますね。
定期配送のお取り寄せも「今月は1回お休みします」みたいに使います。
「学校を休む」も、1つ目の意味よりもむしろ、こちらの意味で使われることが多いのではないでしょうか。
さて、よく考えてみてください。
「学校を休む」というのをどちらの意味で使っていますか?
2つ目の意味で使っているとしたら、「休む」と言ってもただ「学校に行かない」だけになっていて、心と体の元気を蓄えることになっていない、そんな休み方になっているかもしれません。
※大変細かい話ですが・・・
実は、「○○を休む」というように目的語(~を)がつく場合、文法的には2つ目の意味になります。つまり「学校を休む」と言ったら、文法的には「休養する」のではなく「学校に行かない」という意味になる訳です。ですので、1つ目の「休む」であることを意識したいときは、「今日は学校に行かないで休む」のように言った方が正確ということですね。
「よくない休み方」について
休むと決めたら「いい休み方」をすることが重要です。
「いい休み方」とは、「心と体の元気が溜まる休み方」です。
反対に、よくない休み方もあります。
それは「心と体の元気が消耗する休み方」です。
せっかく学校を休んでも、周りから学校に行くように促されたり、そういう暗黙の期待が強かったりすると、本人はいたたまれない気持ちになります。
本来は子どもは学校に行っている時間ですから、家の中でひっそりと息を潜めて過ごしていて、ちょっと外出するのにも気を遣うでしょう。
「みんなは今学校で勉強しているのに自分は何もできていない」「今は9時30分だから2時間目が始まったところだ」「3時間目の図工だけはやりたかったな」「そろそろ給食の準備だ」・・・こんな気持ちで1日過ごしていないでしょうか。
それは「休む」のではなく「(本来行くべき)学校に行っていない」だけです。
これでは休んでも休んでも、心身が消耗するだけになってしまいます。
どうせ休むなら「いい休み方」を
「いい休み方」をするには、本人も家族も学校の先生も「今は休むぞ」としっかり決めて、あとは自由に楽しく過ごすことが大切です。
散歩とか買い物とかスポーツとかに行ってもいいし、もっと普段出来ないことをしたりしましょう。
家族は「学校を休んでる子を遊びに連れ出してもいいのか」と思うかもしれないですが、別に体調を崩して休んでいる訳ではないので、楽しく過ごせばいいんです。
そこで次回からは、「いい休み方」について考えていきたいと思います。
【連載:場面緘黙と不登校】第8回 対応方法の基本④学校に行った方がいい理由
前回は、不登校の解決が多様であり学校は1つの手段に過ぎないという話をしましたが、その最後で「学校は、行ければ行った方がいい」というのが私の基本的な立場と述べました。
今回は「学校に行った方がいい理由」について考えてみましょう。
学校に行った方がいい理由は1つ:「効率がいいから」
はじめに分かりやすく結論を書いてしまいましょう。
私が「学校は、行ければ行った方がいい」と考える理由は「効率がいいから」。
これだけです。
「効率がいい」をもう少し詳しく説明すると、こうなります。
・安い
・内容が充実している
・自分で考える必要がない
+社会の側にとってもコストパフォーマンスがいい(これは別の回に説明します)
不登校の解決のゴールは多様ということを前回は指摘しました。
自治体の教育支援センターでもいいし、民間のフリースクールでもいいし、自宅でも勉強できます。
こういった方法と、学校(日本の公教育:主に小中学校を想定)とを比較して考えてみましょう。
1.安い
学校は圧倒的に安いです。
学用品や給食費や修学旅行などでお金はかかりますが、基本的に無料です。
電気や水道などの生きていくのに必要なインフラでさえお金がかかるわけですから、無料で使えるサービスとしては学校を上回るものはないでしょう。
2.内容が充実している
教える教師はプロの集団です。
最低4年間の基礎課程があり、厳しい(最近はそうでもない)選抜があり、職に就いてからも「研鑽と修養」を欠かさないのが学校の先生です。
そして学べることや体験できることも盛りだくさんです。
部活動やクラブ活動があり、色々な行事があり、校外学習があり、ゲストティーチャーがあり、色々なことが学べます。
3.自分で考える必要がない
日本の学校教育は、大勢の専門家によって議論に議論を重ねた集大成である「学習指導要領」に基づいて行われます。
10年に一度くらいの割合で改訂されていますので、常に最新版と言っていいでしょう。
何を学ぶべきか、自分で考える必要がまったくありません。
これらをもし自宅での勉強で補うとしたら、とても大変ですね。
「効率」以外にはあるか
では効率以外に、学校に行った方がいい理由はあるでしょうか。
私は特にないと思っています。
(ただしここは人によって意見が分かれるところですので、みなさんご自身で判断してください)
よく言われそうな理由と、それについての私の考えを書いておきましょう。
・学校は「社会性が身につく」「集団のルールが学べる」
これは、大人との関わりや異年齢集団との関わり、社会との関わりなどの場があれば、学校でなくても学べると思います。
学校じゃない方が学べることもあるかもしれません。
(だいたい、日本の学校で身につけさせられる「社会性」や「集団のルール」って、そんなにいいものなのでしょうかと私は思ってしまうのですが)
・学校じゃないとできないことがある、「運動会」や「修学旅行」は学校じゃないと体験できない
それを言ったら、フリースクールじゃないとできないこともあるし、海外留学じゃないとできないこともあるし、農業体験じゃないとできないこともあります。
「運動会」や「修学旅行」は子どもの健やかな成長に必須のものではありません。
ですのでこれは理由にはならないと私は思います。
・同年齢の集団との生活は、思春期・青年期の人格形成に役立つ
これはそうだと思います。
ただ、長く不登校だった方が人格形成に不適応を抱えるかというと、それはその人次第な気もします。
ですので学校でなければならない、というわけでもないように思います。
あまり書くと、学校が大好きな人から文句を言われそうなのでこのくらいにします。
「学校に行くかどうか」をメリットとデメリットから考える
とにかく私が言いたいのは、「学校に行った方がいい理由は、効率がいいから」ということです。
なぜそのことをわざわざ強調するかというと、「学校を絶対視しない」「学校を神聖視しない」という視点が大事だと考えているからです。
「学校に行った方がいい理由は、効率がいいから」というのは、裏を返せば「効率がよくないなら、行かなくてもいい」という意味です。
つまり学校に行くことのメリットをデメリットが上回るなら別に学校にこだわらなくてもいい、そのくらいに考えるのがよいと思っているのです。
では学校に行くことのデメリットとは?
色々な理由で学校が嫌いな子はいるでしょうが、多くの子たちにとってはそんなに大きなデメリットはないでしょう。
総合的に見てメリットがデメリットを上回る子たちは、学校に行くといいでしょう。
でも中には、学校に行くことのデメリットが大きい子もいます。
学校に行くだけで心身をすり減らし、辛い毎日を送っている子。
行くだけは行っても、様々な刺激に耐えられずとても勉強どころではない子。
そういう場合、いくら内容が充実していても無料でも、行く意味がなくなってしまいます。
ですので、学校に行くのか、行かないのか、の判断をする場合には、「メリットとデメリット」を秤にかけてみてください。
マイナスの方に傾くなら、休んでみるのもいいでしょう。
無理やり行かせてもあまり意味はありません。
そこの判断が大事です。