【ブログ】「話せるようになる」ための500の方法
【学校との連携⑱】「通知票」について⑥個別の指導計画の評価と見直し
通知票の問題の3つ目として、「個別の指導計画」についても触れておきましょう。
個別の指導計画についてはこちらの記事に書いておきましたので、併せてご覧ください。
個別の指導計画は「一人ひとりに応じた、教科の学習と自立活動での目標と指導内容・方法についての計画」です。
特別支援学級や通級による指導の対象となる子については、作成と活用が必須になっています。
個別の指導計画はPDCAサイクルで進める
指導計画ですので、立てっぱなしにすることはなく、必ず「評価」と「改善」がセットになります。
<PDCAサイクル>
計画(Plan)→実施(Do)→評価(Check)→改善(Act)→新たな計画
このような流れで見直しが行われていきます。
「評価」と「改善」は随時行われるものですが、特に重要なのは学期末のふり返りです。
こちらは以前の記事にも掲載した個別の指導計画の例ですが、右下の欄に「成果と課題」が書かれています。
これが学期末の「評価」になります。
個別の指導計画の「評価」を見るポイント
個別の指導計画の「評価」(成果と課題)は、学校側が年度末に機会を作り対面で説明することが望ましいです。
もし対面での説明がなかった場合も、個別の指導計画にはその内容が明記されている必要があります。
「評価」を見る際には、以下の点を意識するとよいでしょう。
1.「目標」との対応:長期目標や短期目標が達成されたか
2.今後の課題
・目標が達成されている場合は、次の目標や課題は何か
・目標が達成されていない場合は、その理由や課題は何か
個別の指導計画の「評価」に問題があった場合
よくあるケースとして、次のようなことがあります。
・年度末に個別の指導計画の評価が示されない
・学校側から個別の指導計画の説明の機会がない
・個別の指導計画の評価が目標と対応していない
・個別の指導計画の評価が子どもの実態を捉えていない
こういった場合は、春休み中にしっかり説明の機会をもってもらうように、学校の特別支援教育コーディネーターや学級担任などに依頼をしましょう。
個別の指導計画は作りっぱなしではなく、しっかり活用していくことが大切です。
個別の指導計画を活用して、来年度に向けてよりよい計画を立てていきましょう。
【学校との連携⑰】「通知票」について⑤合理的配慮を考えることが「緘黙症状の改善」にもつながる理由
合理的配慮とは、「障害のある人が社会生活を送る上で、障害のない人と同じように社会参加したり権利を行使したりできるようにするために行う調整や変更」のことです。
もし緘黙症状があることで成績が低くなってしまうとしたら、それは障害のない人と同じように権利を行使できていない状態ということになります。
このような場合は、「合理的配慮」によって緘黙症状があっても成績に不利が生じないようにすることができます。
(なお「合理的配慮」についてよく分からないという方は、こちらの記事をご覧下さい)
前回の記事で説明した「評価」と「評定」の話が重要になってくるので、この点について再度簡単に説明しましょう。
<評価→(総合的に判定+合理的配慮)→評定> の流れを理解する
一般的に学校での成績評価には、「観点別評価」と「総合的な評定」とが存在します。
「評価」と「評定」はよく似たことばですが、まずはその違いを理解しましょう。
大まかに言えば「テストの成績や個々の観点別評価などに基づいた総合的な判定」が「評定」です。
評価と評定は以下のような関係になっています。
各評価 → (総合的に判定) → 評定 |
評価:「知識・技能:A」「思考・判断・表現:A」「主体的に学習に取り組む態度:B」
↓
評定:「国語:4」(5段階で)
ここで例外として、「障害があることによって、ある点の評価が他の人とは同じように行えない」という状態があります(例えば聴覚障害があって英語のスピーチは上手にできない)。
そういった場合には、合理的配慮として、評定にあたって障害があることを考慮した判定を行うようにすることができます。
つまり上記の流れは、このように書き換えることができます。
各評価 → (障害があることも考慮し、総合的に判定) → 評定 |
この「障害があることも考慮し」が合理的配慮にあたります。
場面緘黙の場合も同様に、合理的配慮によって、緘黙症状や関連する症状を考慮した評定を行うことができます。
場面緘黙の症状のある子の成績評価における合理的配慮の例
ケース1.音楽
歌のテスト(課題曲のパート別の合唱)が学期末の成績に反映されるため、事前に本人・保護者と学校とで合理的配慮について検討。学校側は特別支援教育コーディネーターと音楽の教科担任、学級担任、教頭が参加。特別支援教育コーディネーターが司会を務め、担任が記録を行った。
まず診断書で「場面緘黙症」の診断があることを確認した。次いで音楽の教科担任からは音楽の学期末の成績評価について(歌のテストの実施方法、観点別評価と総合的な評定の方法)について説明があり、緘黙症状があることから想定される成績評価の不利益についても説明があった。
その後本人と保護者が別室で相談し、「歌のテスト」がどのようにできそうかを話し合った。本人は「録音を音楽の先生だけに1回だけ聴かせる」ならできるとのことだったため、その旨を保護者から学校側に伝えた。
その上で関係者で協議し、他の生徒と条件を揃えるために「伴奏と他のパートの合唱」の録音を本人に渡し、課題である歌の録音を行うこととした。録音は学校のタブレットで行い、学校で用いている学習課題管理アプリ上にアップロードして提出することとした。
<解説>
本人と学校の双方の状況を整理した上で「建設的対話」を行うことによって、落としどころを探ることができました。
「他の生徒と全く同じ」は無理だとしても、はじめから「全くやらない」と決めてしまうのはお勧めできません。このように0か100かではなく、お互いにどこまでならできそうかを話し合うことで、ちょうどいい方法を見つけて合意することができます。
結果的にこの事例では、本人からも「録音を音楽の先生だけに1回だけ聴かせる」ならできるという答えを引き出すことができました。こうすることによって、単に合理的配慮を実施したことに留まらず、本人の緘黙症状の改善にも寄与することが期待できます。
ケース2.体育
話せないだけでなく行動の抑制も大きい中学生のケースです。実技や普段の学習への取り組みが学期末の成績に大きく反映されることから、合理的配慮を検討しました。学校側は特別支援教育コーディネーターと体育の教科担任、学級担任、教頭が参加しました。
まず診断書で「場面緘黙症」の診断があることを確認し、保護者や担任からの説明で「食事」や「排泄」のような日常生活動作も学校では困難なことが多いことが確認されました。次いで体育の教科担任からは成績評価について、普段の学習活動への取り組みが○割、学期末のペーパーテストの成績が○割、実技テストの成績が○割であることの説明がありました。その後関係者で、緘黙症状や行動の抑制があることから想定される成績評価の不利益について意見交換を行いました。なおの学習活動への取り組みに関しては、本人は普段体育の時間は体操着に着替えて見学をしていることが多いです。
「学習活動への取り組み」「実技テストの成績」はいずれも本人が学校で行うことが難しいと考えられたため、それぞれの方法を検討しました。まず「学習活動への取り組み」については、体育の時間を見学する代わりに、課題レポートを作成することとしました。課題は別途教科担任から出され、それによって評価を行うこととしました。実技テストについては、家でできる範囲での実技の様子をビデオ録画し、教科担任が視聴して確認することとしました。
<解説>
このケースも、本人と学校の双方の状況を整理した上で「建設的対話」を行うことで、適切な落としどころを探ることができています。
この事例で画期的なことが2つあります。1つ目は緘黙症状だけでなく行動の抑制も症状の一部と認め、合理的配慮の対象としたことです。「場面緘黙症」は「社会的状況で話せないこと」を主たる症状にしていますが、ほとんどのケースでは話すこと以外の行動の抑制も伴います。ですので緘黙症状以外の行動面も考慮した合理的配慮を行うことが望ましいと私は考えています。
2つ目は「普段の学習活動への取り組み」を「課題レポート」に替えたことです。体育の授業なので学習活動への取り組みが重要なのは言うまでもないことですが、それを実技ではなく学習面の課題に置き換えても、教育的価値があまり損なわれないと判断することができました。
またこの事例でも、本人から「家でできる範囲での実技の様子をビデオ録画し、教科担任が視聴して確認する」というチャレンジを引き出すことができています。これも緘黙症状の改善につながる一歩だと考えることができるでしょう。
合理的配慮を考えることが緘黙症状の改善にもつながる理由
上記の2つの例から分かるように、合理的配慮は「保護者の要望を学校に伝えるだけ」「学校側がただ配慮するだけ」ではありません。
合理的配慮の説明にも度々出てくる「建設的対話」が重要なのです。
「建設的対話」というのは、「どのような対応をすることが、その人にとってもっともよいか」を本人を含めた関係者で話し合うことです。
このプロセスを丁寧に行うことは、緘黙症状の改善にとっても効果があります。
最後にその理由を説明しましょう。
「いちりづか」では、緘黙症状改善のためには3つの要素【WPC】がとても重要だと考えています。(この記事を参照)
この3要素【WPC】がすべて揃えば、ほとんどの緘黙症状は改善させることができます。
そして、上記の<「どのような対応をすることが、その人にとってもっともよいか」を本人を含めた関係者で話し合うこと>は、「本人の意思を確認しながら、関係者で連携して、綿密な計画を立てる」ことであり、まさにWPCそのものだと言えます。
ですので、合理的配慮の検討というのは単に「できないことを配慮してもらう」に留まらず、緘黙症状改善に向けた重要な一歩にもなっているということなのです。
「通知票」「成績評価」をきっかけに、ぜひ合理的配慮を検討し、学校との連携を深めていきましょう。
【学校との連携⑯】「通知票」について④「やむを得ない」では済ませられないものもある
(前回の続きです)
場面緘黙の症状のある子が低い評価がなされてしまうのには、やむを得ない側面もあるという話をしました。
ただしこれが当てはまるのは「観点別評価で、数値や段階・記号で評価するもの」だけです(詳細は前回の記事を参照)。
以下のような場合については「やむを得ない」で済ませるわけにはいきません。
・総合的な「評定」が低くなる場合
・記述式の評価で「心ない記述」や無責任な「励まし」が書かれる場合
総合的な「評定」が低くなる場合
低い評価がされてしまう場合でも、「観点別評価に低いものがある」のと、「総合的な評定が低くなる」のでは話が別です。
これを理解するには、「評価」と「評定」という用語の違いを理解しなければなりません。
「評価」と「評定」はよく似たことばですが、学校教育では厳密に使い分けています。
大まかに言えば「テストの成績や個々の観点別評価などに基づいた総合的な判定」が「評定」です。
評価:「知識・技能:A」「思考・判断・表現:A」「主体的に学習に取り組む態度:B」
↓
評定:「国語:4」(5段階で)
このように、通常は各評価が決まれば、評定は自動的に決定されます(そうでなければ不公平が生じますね)。
各評価 → (総合的に判定) → 評定 |
例外として、「障害があることによって、ある点の評価が他の人とは同じように行えない」ことがあります。
例えば聴覚障害があれば、英語のスピーチは上手にできないかもしれませんね。
そういった場合には、評定にあたって障害があることを考慮した判定を行うことになります(これが「合理的配慮」)。
つまり上記の流れは、このように書き換えることができます。
各評価 → (障害があることも考慮し、総合的に判定) → 評定 |
ではもし「場面緘黙の症状によって観点別評価が低くなり、総合的な評定も低くなってしまう」としたらどうでしょう。
評定にあたって場面緘黙の症状が考慮されていないことになります。
これは「障害への配慮がなされていない」訳ですから、非常に深刻な問題だということが分かるでしょう。
記述式の評価で無理解による「心ない記述」や無責任な「励まし」が書かれる場合
次に、記述式の評価の問題を見ていきましょう。
心ない記述や無責任な励ましとは、例えば「みんなの前で大きい声で発表できるようになるといいですね」「2学期は音読ができるようにがんばりましょう」のような記述です。
この記述式の評価は、観点別評価とは異なり教師の裁量が大きいです。
心ない記述や無責任な励ましは、教師の側がよく理解して気をつけていれば書かれなくて済むはずのものです。
このような記述の問題点は、以下のように整理できます。
・「緘黙症状」を「本人の努力不足」のせいにしてしまっている(障害の理解の欠如)
・このように記述することが症状の改善につながる訳ではない(役に立たない)
・そもそも言われなくても本人は分かっている(わざわざ伝える意味がない)
つまりこれは、障害への理解が欠如しており、本人を傷つけるだけであって、何の意味もないメッセージだということです。
こういった場合への対応
今回は「やむを得ない」では済まない、問題のある評価について見てきました。
通知票でこのような記述があった場合、どのように対応したらよいでしょうか。
もちろん「何もしない」というのもアリです。
進学や就職に不利になるようなものでなければ、特に何かをする必要はありません。
嫌な気持ちにはなりますが、見なかったことにすればよいだけです。
それでも、もし何かこれを機によい方にもっていきたいと思ったら、学校との「対話」をすることをお勧めします。
上記のような問題の多くは、「障害への理解不足」「子どもの様子への理解不足」から生じています。
悪意があってやっているのではなく、知らないから生じている問題なのです。
ですのでこれを機に学校側と、改めて場面緘黙のことやお子さんのことを話し合ってみるとよいでしょう。
その場合には、ただ話し合うだけでなく「合理的配慮」を検討することをお勧めします。
評価や評定に関して、お子さんの症状や実態を踏まえた上でどのような支援や配慮をしていくのかを、正式に話し合うことが大切です。
そうすることによって学校との連携が深まり、評価だけの問題ではなく、日々の支援や配慮、緘黙症状改善に向けた取り組みにもつながっていくことになるはずです。
そこで次回は、成績評価と合理的配慮の問題について考えていきましょう。
※合理的配慮についてはこちらの記事で解説しました。
【学校との連携⑮】「通知票」について③低い評価になるのもやむを得ない場合もある
この記事で書いた「通知票」問題の3つのタイプについて、順番に考えていきましょう。
今回は「1.各教科や行動・生活面の評価の記述で「嫌な気持ちになる」」についてです。
このタイプには、以下の様なものがあります。
・各教科の成績が「低い評価」か「評価不能」(斜線など)になる
・無理解や誤解から「心ない記述」が書かれる
・無責任な「励まし」や「期待」が書かれる(「○○をがんばりましょう」系のやつ)
その内容によって、やむを得ないもの・ある程度仕方がないものと、見過ごすべきでないもの・しっかり対応した方がよいものがあります。
まずは「やむを得ないもの・ある程度仕方がないもの」を見ていきましょう。
仕組み上、低い評価がされてしまうのは仕方がない面もある
最近の通知票は、「観点別評価」と言って「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」のような観点から評価が記述されます。
「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」の下線部は、いずれも緘黙症状があると学校では発揮しづらいものでしょう。
ですので緘黙症状のある子にとって、苦手な部分が出てきてしまうのはやむを得ません。
また実際の通知票の評価の項目は「相手や目的に応じて、筋道を立てて話したり、質問したりすることができる」のようにさらに細かく設定されていたりします。
そうすると、どうしても低く評価せざるを得ない項目が存在するのです。
教師が個別に対応するのはなかなか難しい
<前回の記事>で書いたような評価の目的や意義を教師が正しく認識している場合であっても、実際に個別に対応するのは容易ではありません。
通知票の様式や項目は学校や教育委員会で決められているものですから、クラスに緘黙症状のある子がいるからといって変えることは難しいです。
教師も、緘黙症状のある子の評価で「相手や目的に応じて、筋道を立てて話したり、質問したりすることができる」のような項目で低い評価をつけるのは躊躇するでしょう。
ですが学期末に成績をつけているときは時間の制約も大きいので、一人ひとりに時間をかけて対応するのはかなり難しいです。
結果として、こういった評価がなされてしまうのにはやむを得ない側面もある訳です。
【学校との連携⑭】「通知票」について②教育における「評価」の目的
知ってる方も多いと思いますが、「通知票」には法的な根拠はありません。
作らなくてもいいものですし、当然決まった書式もありません。
廃止してしまった学校もあります。
忙しい学校の先生が、それでも「通知票」を作る理由
「学期末は学校の先生は通知票で忙しい」という話はよく聞くと思います。
作らなくてもいいものを、学校の先生は学期末の忙しい時期に、時間をかけて懇切丁寧に作っているのです。
教師の働き方改革が叫ばれて久しく、部活動の外注など業務のスリム化も行われていますが、「通知票」は未だに残っている学校が多いのではないでしょうか。
(廃止した学校がニュースになるくらいなのですから、まだ多いのでしょう)
なぜか。
それは「通知票」がまさに教育の一環として非常に重要だからだと私は考えています。
厳密に言えば、「通知票」が大事なのではなく、「評価」が大事なのですが。
教育における「評価」の目的
学校教育における「評価」とは、テストをすることでも、成績をつけることでもありません。
「評価とは教育そのもの」です。
評価なくして教育なし、そのくらい大事なものです。
評価には2つの目的があると言われます。
1.学びや教育活動の成果を測定し価値をつける
2.評価の結果を指導や学習に役立てる
一般的に「評価」と言った場合にイメージするのは1.の「価値をつける」ではないでしょうか。
テストや、学期末のABCなどでの評価、入試などのイメージです。
しかしより重要なのは2.の目的での評価です。
教育や学びを見直し、改善していくために行うのが評価なのです。
「指導や学習」「教育や学び」と書きました。
これらはそれぞれ主体が違います。
大まかに、「指導」と「教育」は教師が行うもの、「学習」と「学び」は子どもが行うもの、と考えてよいでしょう。
つまり2.の目的での評価は、子どものためだけでなく、教師のためにも行うものでもあるのです。
「評価」を学びに役立てるには
では、評価の結果を子ども自身の学びに役立てるには、どうしたらよいでしょうか。
その評価を教師が持っているだけでなく、子どもたちにフィードバックしなければなりません。
このフィードバックは、学習活動のあらゆる機会を通して行われます(小テストや定期テスト、実技テスト、ポートフォリオ、普段の声かけ、などなど)。
つまり評価というのは、学習活動の中に組み込まれているものなのです。
そして学期末にその集大成として行われるのが「通知票」だということです。
先ほど「通知票」がまさに教育の一環として非常に重要だからと書きましたね。
多くの学校で通知票が廃止されないのは、部活動と違い通知票は「教育そのもの」だからだということです。
「評価」は学びに役立つものでなければならない
以上のことから導き出される結論として、「「評価」は学びに役立つものでなければならない」と私は考えています。
ここまでくるとだいぶ言いたいことが見えてきたのではないでしょうか。
評価の集大成である「通知票」はどうあるべきか。
「「通知票」は子どもたちの学びに役立つものでなければならない」のではないでしょうか。
そうでなければ、通知票の存在意義はありません。
しかし、しかしですよ。
その「通知票」が、よりによって子どもたちを傷つけ、学びへの動機づけを損なうものになることがあるのです。
そんな通知票だったら、ない方がマシです。
だから通知票というのは、子どもたちを認め、暖かく励まし、学びを動機づけるものでなければならないのです。
ですので、もし教師が教育における評価の意味を正しく理解していたら、音楽の成績を「評価不能」にするなんてあり得ないことのはずなのです。