【ブログ】「話せるようになる」ための500の方法
【学校との連携⑯】「通知票」について④「やむを得ない」では済ませられないものもある
(前回の続きです)
場面緘黙の症状のある子が低い評価がなされてしまうのには、やむを得ない側面もあるという話をしました。
ただしこれが当てはまるのは「観点別評価で、数値や段階・記号で評価するもの」だけです(詳細は前回の記事を参照)。
以下のような場合については「やむを得ない」で済ませるわけにはいきません。
・総合的な「評定」が低くなる場合
・記述式の評価で「心ない記述」や無責任な「励まし」が書かれる場合
総合的な「評定」が低くなる場合
低い評価がされてしまう場合でも、「観点別評価に低いものがある」のと、「総合的な評定が低くなる」のでは話が別です。
これを理解するには、「評価」と「評定」という用語の違いを理解しなければなりません。
「評価」と「評定」はよく似たことばですが、学校教育では厳密に使い分けています。
大まかに言えば「テストの成績や個々の観点別評価などに基づいた総合的な判定」が「評定」です。
評価:「知識・技能:A」「思考・判断・表現:A」「主体的に学習に取り組む態度:B」
↓
評定:「国語:4」(5段階で)
このように、通常は各評価が決まれば、評定は自動的に決定されます(そうでなければ不公平が生じますね)。
各評価 → (総合的に判定) → 評定 |
例外として、「障害があることによって、ある点の評価が他の人とは同じように行えない」ことがあります。
例えば聴覚障害があれば、英語のスピーチは上手にできないかもしれませんね。
そういった場合には、評定にあたって障害があることを考慮した判定を行うことになります(これが「合理的配慮」)。
つまり上記の流れは、このように書き換えることができます。
各評価 → (障害があることも考慮し、総合的に判定) → 評定 |
ではもし「場面緘黙の症状によって観点別評価が低くなり、総合的な評定も低くなってしまう」としたらどうでしょう。
評定にあたって場面緘黙の症状が考慮されていないことになります。
これは「障害への配慮がなされていない」訳ですから、非常に深刻な問題だということが分かるでしょう。
記述式の評価で無理解による「心ない記述」や無責任な「励まし」が書かれる場合
次に、記述式の評価の問題を見ていきましょう。
心ない記述や無責任な励ましとは、例えば「みんなの前で大きい声で発表できるようになるといいですね」「2学期は音読ができるようにがんばりましょう」のような記述です。
この記述式の評価は、観点別評価とは異なり教師の裁量が大きいです。
心ない記述や無責任な励ましは、教師の側がよく理解して気をつけていれば書かれなくて済むはずのものです。
このような記述の問題点は、以下のように整理できます。
・「緘黙症状」を「本人の努力不足」のせいにしてしまっている(障害の理解の欠如)
・このように記述することが症状の改善につながる訳ではない(役に立たない)
・そもそも言われなくても本人は分かっている(わざわざ伝える意味がない)
つまりこれは、障害への理解が欠如しており、本人を傷つけるだけであって、何の意味もないメッセージだということです。
こういった場合への対応
今回は「やむを得ない」では済まない、問題のある評価について見てきました。
通知票でこのような記述があった場合、どのように対応したらよいでしょうか。
もちろん「何もしない」というのもアリです。
進学や就職に不利になるようなものでなければ、特に何かをする必要はありません。
嫌な気持ちにはなりますが、見なかったことにすればよいだけです。
それでも、もし何かこれを機によい方にもっていきたいと思ったら、学校との「対話」をすることをお勧めします。
上記のような問題の多くは、「障害への理解不足」「子どもの様子への理解不足」から生じています。
悪意があってやっているのではなく、知らないから生じている問題なのです。
ですのでこれを機に学校側と、改めて場面緘黙のことやお子さんのことを話し合ってみるとよいでしょう。
その場合には、ただ話し合うだけでなく「合理的配慮」を検討することをお勧めします。
評価や評定に関して、お子さんの症状や実態を踏まえた上でどのような支援や配慮をしていくのかを、正式に話し合うことが大切です。
そうすることによって学校との連携が深まり、評価だけの問題ではなく、日々の支援や配慮、緘黙症状改善に向けた取り組みにもつながっていくことになるはずです。
そこで次回は、成績評価と合理的配慮の問題について考えていきましょう。
※合理的配慮についてはこちらの記事で解説しました。