【ブログ】「話せるようになる」ための500の方法
【高校生、女性】メタバース「cluster」で相談を続けている子
【対象】あかねさん(仮名)女性
中学生から相談開始、現在は高校生
【概要】
「cluster」というメタバースを使って相談を続けている高校生の女の子です。今の環境では学校で同級生と話すのは難しいけれど、大学に進学したときに話せる状態でスタートできることを目指して練習をしています。
初めは保護者を通じた面談でしたが、次第に本人と直接やりとりができるようになりました。現在は保護者を介さずに本人と直接やりとりをしています。
面談は2、3ヶ月に1回くらいの頻度で行っています。その時々の困っていることなどについて、本人と一緒に考えながら少しずつステップアップを続けています。
メタバースを使った面談
実は「いちりづか」の面談でclusterを使えるようになったのは、あかねさんのお陰です。
あかねさんとは中学生の頃から相談を受けていたのですが、当初はオンラインの面談で保護者を通じてやりとりするのが主でした。あかねさんは以前からよくclusterを使っていたため、「clusterだったら直接話せるかもしれない」ということで、私も試しに使ってみたのが始まりでした。
ですのではじめは、clusterの使い方もあかねさんに教わりながらやってみたのでした。
あかねさんにはcluster以外にも、アバターの作成や声の編集などで使いやすいソフト、メタバースでの話す練習で使えるマイクなど、色々教えてもらってとても助かっています。
大学進学で緘黙症状の改善を目指す
あかねさんの緘黙症状はもうかなり改善しているのですが、今通っている高校で話すことは難しいようです。
ですのでメタバースの中での話す練習や、お店の人と話す練習、初対面の人や知らない人と話す練習などによって、高校以外で話せる相手や場面を広げています。
本人と直接色々なことが話せるので、効果的な練習方法も考えやすいです。
これまでも「上手な発音の仕方」「声を大きくするにはどうしたらいいか」「学校の研修旅行が不安」など色々なことを相談してきました。
あとはその時々の不安や悩みなどを解決しながら、新しい環境でいいスタートをすることができれば、緘黙症状の問題は解決すると思っています。
行きすぎた「インクルーシブ教育」の問題
日々、全国各地の方から相談を受けていると、色々な地域のローカル・ルールに出くわすことがあります。中でも私が一番問題が大きいと思うのは、「インクルーシブ教育」を推進しすぎてしまって、特別支援学級をなくしてしまった地域です。
はじめに断っておくと、私は「インクルーシブ教育」の理念や考え方には大賛成です。障害の有無や重症度に関わらず同じ場で学べるようにすることは、理念としては素晴らしいです。
ですが実際の運用にあたって、機械的に「同じ場で学ぶ」だけを採り入れても、それはインクルーシブ教育とは呼べません。インクルーシブ教育の理念の基であっても、やはり特別支援学校や特別支援学級は必要だと考えています。
インクルーシブ教育とは、個々の障害や疾患、子どもの状態などへの深い理解と、個々に応じた必要な支援・配慮があってはじめて成り立つものです。それがなければ、ただの「多数派への統合」になってしまいます。
大阪府のいくつかの自治体では、「インクルーシブ教育」と称して、特別支援学級に在籍している子たちも通常の学級で過ごすことを強制しています。場面緘黙や関連する症状のある子たちが特別支援学級で過ごすことを希望しても、それが受け容れられない学校が多くあります。
こちらの記事に書いている通り、緘黙症状以外にも行動の抑制などの問題が大きく、学校生活全般にわたって支援や配慮が必要な場合は、特別支援学級を利用した方がよいと考えています。私が通級よりも特別支援学級がよいと判断するのは、取り出しでの個別の指導だけでなく、「特別支援学級」という居場所そのものが必要な場合です。ところが、自治体や学校の方針でその居場所が利用できないというケースが、上記の「インクルーシブ教育」を進めている地域では非常に多いのです。
この「インクルーシブ教育」の考え方のどこに問題があるかというと、「集団が苦手」「人がいるところが苦手」という子がいることへの理解と配慮が欠けていることです。
視覚障害や聴覚障害、学習障害やADHDといった多くの人が知っている「障害」は、支援や配慮や指導方法の工夫さえあれば、通常の学級での学習にも十分に参加することができます。それは、これらの障害の本質が「集団への参加」「人との関わり」の部分にある訳ではないからです。
しかし、社交不安や視線恐怖、パニック障害等に代表される「不安症」のある子たちは、「集団への参加」「人との関わり」そのものに苦手さがあります(社交不安等の不安症の症状は場面緘黙に併存することが極めて多いです)。人の多いところやザワザワした場所では安心して過ごすことができないからこそ、「特別支援学級」という居場所が制度によって保障されているのです。
「インクルーシブ教育」と称してこういった子たちにも機械的に「同じ場で学ぶ」ことを求めるのは、共生社会の実現からはほど遠い、単なる「多数派への統合」です。多数派への統合というのは、私はとても怖いことだと思っています。インクルーシブ教育を進めるのであれば、個々の障害や疾患、子どもの状態などへのより深い理解が不可欠です。
ですので、インクルーシブ教育の理念の元であっても、「情緒障害」と呼ばれるグループに分類される子たちのためには「特別支援学級」の利用を認めるべきだと私は考えています。
【連載:場面緘黙と不登校】第12回 「いい休み方」について④どうすれば「いい休み方」になるか
今回はいよいよ、どうすれば「いい休み方」になるかについて考えていきます。
と言っても、「これこそがいい休み方だ」というものがある訳ではありません。
緘黙症状改善の方法が人それぞれなのと同じように、学校に行きづらい子にとっての「いい休み方」も人それぞれです。
そこで、「いい休み方」にするための基本的な考え方について、いくつかの場合に分けて考えていきましょう。
好きなことをする場合
私は、学校を休んでいる子の過ごし方としてまずは「好きなことをする」のが最もよいと考えています。
もちろん加減というものがありますので、朝からずっとゲームばかりしているのはお勧めできませんが、それでも考え方によっては「いい休み方」にすることはできます。
まず、どうせやるなら「ちゃんとやる」ことです。
休むために、息抜きをしたり、ダラダラやるのも全然ダメではないです。
でもどんなことでも、ちゃんとやれば成長につながります。
ちゃんとやるためには、行き当たりばったりや自己流ではなく、基礎基本からしっかり学ぶことが大切。
そして継続すること。
これができればよい学びになります。
そして、「いい休み方」になるかどうかは「目標」や「目的」があるかが重要です。
「目標」と「目的」はよく似たことばですが、次のような違いがあります。
・「目標」:実現したい1つ1つの具体的なステップ
・「目的」:最終的に目指したいこと
「目標」の方がより具体的で、達成しやすいものになります。
例えば「イラストを投稿していいねを100もらう」なら目標、「絵が上手に描けるようになること」なら目的です。
そして、目的達成を目指すには、基礎基本からしっかり学ぶことが近道になることが多いですね。
目標や目的が明確なら、オンラインゲームだって「いい休み方」になるかもしれません。
「目標は何?」「今シーズン中にマスターランクまで行くこと」
「ふーん。じゃぁその目的は何?」「ええっと・・・試合の展開を読んで、味方と連携して、チームに貢献できるプレイができるようになること・・・?」
例えばそういう目的なら、オンラインゲームだって悪くないかもしれませんね。
チームでのゲームで強くなるには仲間とのコミュニケーションが必須ですから、ボイスチャットだってしないといけませんし。
ゲームで緘黙症状が改善する人もいます。
家で勉強をする場合
家で勉強をするのは、本人にその気があればとてもお勧めの過ごし方です。
でも子どもに「勉強でもしたら?」と言っても「やだ」と言われて終わってしまいます。
「学校を休むなら、せめて勉強だけでも」という考え方ではあまり上手くいきません。
その理由は「目的が曖昧だから」です。
子どもに「何のために勉強するのか分からない」と言われることがありますね。
「何のために勉強するのか」はとても答えるのが難しい問題です(またそのうち別の記事で書きましょう)。
大人でも答えるのが難しいというのが、「目的」が曖昧な証拠です。
目的の分からないことは、誰だってやりたくありません。
「勉強でもしたら?」はまさにその典型です。
ここでもお勧めなのは、「目標」や「目的」を考えることです。
そこで、「目標」や「目的」を明確に設定してみましょう。
・目標を明確にする:英検や漢検合格、カラーコーディネーターの資格をとる、○年生の漢字を全部覚える、など
・目的を明確にする:高校受験のため、海外留学のため、将来の夢を達成するため、など
「何となく」学校の勉強をするのではなく、目標や目的をもって勉強するのが有効です。
目標や目的が明確になれば、何の勉強をどのようにしたらよいかも自然と導き出されます。
そのようにして考えた勉強は、「1日1ページドリルをする」みたいな方法とは異なるものになるでしょう。
外出する場合
外出もいいですね。
学校に行けなくても、どんどん外出してほしいと思います。
外出の場合、まずは「外に出るだけでも素晴らしいこと」だと考えましょう。
前回も言及しましたが、場面緘黙と不登校が同時に生じている場合、ほとんどのケースで強い不安症状や対人恐怖が背景にあります。
ですので、外に出るだけでも怖かったり、不安だったりすると思います。
そういう状況で外に出るわけですから、「外に出るだけでも素晴らしいこと」なのです。
外出するには、「目的」が必要です(目的のない外出というのはちょっと怖いですね)。
もちろん、目的は「ただの散歩」でも構いません。それだって立派な目的です。
ただもっといい目的があれば、外出はよりよいものになるでしょう。
買い物でも、趣味でも、イベントへの参加でも構いません。
「好きなアーティストのライブを聴きに東京まで行く」みたいな目的があったら、すごくいいじゃないですか。
そういうことが、緘黙症状や不登校を改善させる原動力になるのだと私は考えています。
ところが実際は、この「外出」をさせるというのが、家族からすると心理的なハードルが高かったりします。
「学校を休んでいるのに、なんで外に遊びに行くの?」「休んでいるのに外出していいの?」と思ってしまう訳です。
これが、第9回の記事で説明した「休む」の2つの意味の違いから出てくる問題だと思います。
単に「学校を休んでいる」だけなので、「家で大人しくしていないといけない状態」にある訳ではありません。
学校以外の教育の場(教育支援センターやフリースクールなど)に行く場合
「教育支援センターやフリースクール」と書きましたが、この2つは目的も位置づけも全く異なるものなので、本来は一緒にすべきではないかもしれません。
ただ「いい休み方」という視点から見れば、同じ範疇に入ると考えてよいでしょう。
それはどちらも、「学校を休む代わりに行く、教育の場」だからです。
「教育支援センターも行きたくないけど、学校よりはマシだから行く」という子もいます。
それが「いい休み方」になっているかは、しっかり検討する必要があると思います。
前回の記事で書いたように、プラスとマイナスどちらが大きいかをよく考えてみるとよいでしょう。
もちろん教育支援センターに通うことがプラスになることもあります。
それを左右するのは、やはり「目標」や「目的」です。
なぜ教育支援センターやフリースクールに行くのか。行った先には何があるのか。
学校復帰を目指すのか、学習面のフォローか、日中の居場所か。
「学校に行けない代わりに行く」以外の答えが明確に用意できるように考えてみましょう。
緘黙症状の改善を目指す場合
これは言うまでもなく、しっかりと計画を立てて練習をしていくことが必要です。
他の記事(例えばこちら)でも説明してきたように、学校に行きづらい状態の子でも緘黙症状を改善させることはできます。
そしてこの場合もやはり、「目標」を明確にすることがその第一歩となります。
この記事は「場面緘黙と不登校」というカテゴリーの記事です。
緘黙症状のある子がもし「学校を休む」という決断をしたなら、私はぜひその機会に「緘黙症状の改善」を目指してほしいと思います。
ということで、ここまでどうすれば「いい休み方」になるかについて考えてきました。
どの場合も共通するのは「目標」や「目的」を明確にするということでした。
もちろん休み初めはそんなこと考えず、ゆっくり心と体の元気を蓄えれば大丈夫です。
余裕が出てきたところで、もし学校を休むのが長くなりそうなら、「いい休み方」にするためにも目標や目的を考えてみましょう。
【連載:場面緘黙と不登校】第11回 「いい休み方」について③「いい休み方」の2つの側面
第9回の記事から、「いい休み方」についてお話ししています。
今回は「いい休み方」を分解して、2つの側面から考えていきましょう。
プラスが大きいかマイナスが大きいか
私が学校に行きづらい子への対応でいつも考えているのは、「総合的に考えてプラスが大きい過ごし方」をすることです。
例えば不登校の対応で「夕方学校にプリントをもらいに行く」という対応があります。
これは「いい休み方(過ごし方)」でしょうか?
もちろん正解は「人それぞれ」です。
夕方学校に行って担任の先生と少し会うだけでも「今日は学校に行けた」という達成感になる子もいれば、「夕方学校に行かないといけない」と思うだけで一日中暗い気持ちで過ごす子もいます。
総合的に考えてプラスが大きければやればいいし、マイナスが大きければやらなければいいのだと考えています。
「いい休み方」の2つの側面
プラスとマイナスという視点で考えると、「いい休み方」には2つの側面があることが分かります。
1つ目は「マイナスを減らす」、心と体の元気を蓄える休み方です。
本来の意味での「休む」だと言えるでしょう。
これはとにかく「しっかり休む」ことが大切です。
第9回の記事にも書いたように、「心と体の元気が消耗する休み方」もあります。
「学校を休んでいるのに、心身は休まらない」にならないように気をつけましょう。
2つ目は「プラスを増やす」、より積極的にできることを増やしていく休み方です。
せっかく学校を休んでいる訳ですから、それを活かしてできることを増やしていく過ごし方も考えてみましょう。
これは色々なやり方が考えられるので、詳しくは別の記事で書くことにします。
「できることを増やしていく」には「緘黙症状の改善」も入ります。
学校に行くことよりも緘黙症状の改善を先に目指すケースでは、この対応が特に重要になります。
これら2つの関係は、ドラゴンクエストで言えば、1つ目は「ホイミ(回復呪文)」や「宿屋で休む」、2つ目は「レベル上げ」や「アイテム収集」と言えるでしょう。
しっかり休んで心と体の元気が溜まってきたら、超レアアイテムを探しに出かけましょう。
総合的に見てプラスになるなら、学校を休んでも
「学校を休む」(2つ目の意味)というのは、本来出来ているはずのことができない「マイナス」のことだと一般的には捉えられます。
ですが、しっかり休んで心と体の元気を整えながら、さらに学校ではできないことを積み上げて行くことができれば、「総合的に見るとプラス」にできるかもしれません。
優先順位をよく考え、「無理して学校に行くよりも、休んだ方がプラスが大きかった」と言えるような休み方ができるといいですね。
【連載:場面緘黙と不登校】第10回 「いい休み方」について②「いい休み方」は緘黙症状の改善にも効く
前回の記事では、学校に行きづらい子への対応として、「いい休み方」をすることがとても大切だと指摘しました。
今回は「いい休み方をすることは、緘黙症状の改善にもつながる」ということを説明しましょう。
「場面緘黙+不登校」が難しいのは、社会とのつながりが断たれるから
緘黙症状があって学校に行きづらい状態になっている子への対応が難しいのは、「コミュニケーションの障害」と「関わる場の減少」が同時に起こるからです。
これは「社会とのつながりが断たれる」と捉えることもできるでしょう。
場面緘黙と不登校が同時に生じている場合、ほとんどのケースで強い不安症状や対人恐怖があることが想定されます(これについては第4回の記事で説明しました)。
このため、単に「人前で話せない」「学校に行けない」だけでなく、外出や他の集団への参加などの学校以外の社会とのつながりも作りづらくなってしまうのです。
緘黙症状があって学校に行きづらい状態になっている子への対応の第一歩は、まさに「社会とのつながり」を作り出すことだと言えます。
それが「学校とのつながり」の場合なら登校を増やすことを目指すかもしれませんし、「コミュニケーション」なら緘黙症状の改善を目指すことになるかもしれません。
「社会とのつながり」とは、どんな「社会」のことか
このような状態の子に「社会とのつながり」を作っていくためには、「どんな社会とつながるか」が重要です。
結論を言ってしまえば、上手くいくならどんな社会でも構いません。
もちろん、自治体の教育支援センター(適応指導教室)や親が勧めるフリースクールで上手くいく場合は、それで進めていくのでよいでしょう。
ですがこの記事を見ている方には、それでは上手くいかないケースもあると思います。
その時に大事になってくるのが「本人がやりたいこと」を通じて社会と関わっていくという考え方です。
入り口は何でも構いません。
本人がやりたいことを、まずはじっくりやっていけばよいのです。
どんなことでも、いつかは社会につながっていく
どんなことであっても、それを突き詰めていけば社会とつながっていきます。
例えば、場面緘黙の子で多い「イラストが得意」「イラストが好き」で考えてみましょう。
イラストやマンガは、描き手と作品との間で完結するものではありません。
はじめは「描いたものを人に見せるのは嫌」という子も多いですが、描き続けていれば必ず誰かに見せたくなります。
なぜならイラストやマンガは「人に見られることによって成り立つ」からです。
これは音楽でも小説でもお菓子作りでもそうです。
ではもっと一人の中で完結しそうな趣味はどうでしょう。
読書や動画視聴は一人で行うのが普通で、いくら続けていても人との関わりにはなりにくいかもしれません。
ですが世界を広げる絶好の教材になります。
海外のドラマを観ていれば日本の社会とは違う多くのことに気付くでしょう。
YouTubeだったら全世界に開かれた情報の窓になると思います。
(大事なのは、暇つぶしではなく、そういう見方ができるかどうかです)
どんなことでも一人で突き詰めることはできないので、インターネットで情報を検索したり、道具や材料を買いに行ったり、何らかの社会とのつながりが出てきます。
買いたい物があれば、それは緘黙症状改善のための機会になるでしょう。
気持ちが外側に向かっていくために、「いい休み方」を
私がこれまで多くの緘黙症状のある方と関わってきて、最も難しいと感じるのは「社会とのつながり」を求めていない場合です。
不登校だけなら何とかなりますが、本人が「人と話したくない」「誰とも関わりたくない」と強く考えている場合は、ほとんど何もできなくなってしまいます。
そんな場合でも、どこかに「社会とのつながり」を見出すことができれば、緘黙症状改善のとっかかりになります。
どんなことでもよいので、気持ちが外側に向いて生きたときに、緘黙症状の改善が始まると考えています。
そのためには、まずはしっかり休んで心と体の元気を補充しながら、好きなことを通して社会とつながっていくことが大事なのです。